最も嫌われたウェールズ王 マエルグウィン・グウィネズ ― 「島の竜」と呼ばれた6世紀の暴君

「ウェールズでいちばん嫌われた王さまは誰?」
もしそう聞かれたら、僕は迷わずこの人の名前を挙げます。6世紀の北ウェールズを治めた王、マエルグウィン・グウィネズです。
叔父から王位を奪い、妻と甥を手にかけ、教会の財宝までだまし取ろうとした。同じ時代を生きた修道士からは、「島の竜」なんて呼ばれてしまったほどです。
いったい何をすれば、そこまで嫌われるのか。今日はこのマエルグウィンさんの物語を、ウェールズ史をまったく知らない人でも楽しめるようにご紹介します。
なお、これからお話しする内容は、中世の年代記や伝説などをもとに僕の解釈も加えたものです。物語としてお楽しみください。
国の名前を背負った、最強の王さま
マエルグウィンが生まれたのは、北ウェールズの王国グウィネズ。5世紀にキネダが建てた国で、マエルグウィンはそのひ孫にあたります。お父さんは「長い手」のカドワロンです。
マエルグウィンの名前には、国の名前「グウィネズ」がそのまま付いています。それだけ「グウィネズといえばこの人」という存在だった、ということなんですね。
体は大きく、戦えば強く、気前もいい。ブリテン島の西側でも、指折りの実力者でした。
……と、ここまでなら立派な王さまなのですが、話はここからです。
潮が満ちても沈まない、ズルい椅子
マエルグウィンには、こんな「王さま決定戦」の伝説が残っています。
あるとき、北ウェールズの王たちが「誰がいちばん上に立つか」を決めることになりました。その方法がなんとも豪快で、海辺に椅子を並べて座り、満ちてくる潮に最後まで耐えた人が勝ち、というもの。

ところがマエルグウィンは、こっそり家臣に命じて、蝋を塗った鳥の羽で椅子を作らせていました。
潮が満ちてくると、ほかの王たちは次々と波にのまれて逃げ出します。そんな中、マエルグウィンの椅子だけはぷかぷかと水に浮かび、本人は涼しい顔で座り続けた――。
勝つためなら仕掛けもいとわない。なんだか、この後の人生を予告しているような話ですよね。
叔父を倒して、王座を奪う
マエルグウィンが王になった経緯も、なかなかのものです。
お父さんのカドワロンが亡くなったあと、王位を継いだのは叔父のオウァイン・ダントグウィンでした。ところが若きマエルグウィンは、これに納得できません。
叔父と甥の対立はついに戦になり、二人は「カムランの谷」で激突。オウァインは敗れて命を落とし、マエルグウィンが新しい王になったと伝えられています。
叔父と甥が「カムラン」で戦う。どこかで聞いた話だと思った方、鋭いです。アーサー王伝説の最後の戦いも「カムランの戦い」で、アーサー王は甥のモルドレッドと戦って倒れます。そのため、「マエルグウィンこそモルドレッドのモデルでは?」という説もあるんです。このあたりはアーサー王と北ウェールズの王たちの記事でくわしく紹介しています。
修道士ギルダスの「名指し批判」
マエルグウィンの悪名を決定的にしたのが、同じ時代を生きた修道士ギルダスです。
ギルダスは『ブリタニアの破壊について』という本の中で、当時のブリテンの王たちを名指しで次々と批判しました。中でもいちばん長く、いちばん激しく責め立てられたのが、マエルグウィンです。

ギルダスは彼のことを**「島の竜」**と呼びました。ほかの王たちを王座から追い落とし、力でも悪事でも誰よりも上を行く男だ、というわけです。
同じ時代の人に、ここまで具体的に悪口を書き残された王さまは、6世紀のブリテンではほかにいません。しかも書いたのは、みんなに尊敬されていた聖職者。この本が読み継がれたことで、「マエルグウィン=悪い王」というイメージが、1500年近くたった今まで残ることになりました。
では、マエルグウィンは具体的に何をしたのでしょうか。
教会の財宝をだまし取ろうとする
聖人パダルンの伝記には、こんな話が残っています。
マエルグウィンは、ランバダルン(今のアベリストウィスの近く)の教会を率いるパダルンのもとに使いを送り、袋を預けました。「王さまの財宝だ。大切に預かってくれ」。
ところが、袋の中身は苔と砂利。
しばらくして袋を開けさせたマエルグウィンは、わざとらしく怒ってみせます。「財宝が石ころになっているぞ。お前たちが盗んだんだな、弁償しろ!」

なんとも分かりやすい言いがかりですよね。
でも、このたくらみはうまくいきませんでした。伝記によると、本当のことを確かめる裁きが行われて嘘がバレてしまい、マエルグウィンは罰として目が見えなくなってしまいます。最後は罪を認めて許しを請い、教会に土地を差し出した、と伝えられています。
修道士になったのに、すぐ逆戻り
実はマエルグウィン、一度は心を入れ替えて修道院に入ったことがあるんです。周りの人たちは「これでやっと平和になる」と胸をなでおろしたことでしょう。
ところが、修道士の暮らしは長続きしませんでした。誓いを捨てて王の座に戻ってくると、前よりもっと好き勝手にふるまうようになってしまいます。
ギルダスがいちばん許せなかったのは、ここでした。一度は神さまの道に入ったのに、自分から引き返してしまった。だからこそ、あれほど激しく批判したんですね。
妻と甥を手にかけ、甥の妻を奪う
そして、マエルグウィンの悪行の中でもいちばん衝撃的なのが、この事件です。
マエルグウィンは、甥(兄弟の息子)の若い奥さんに心を奪われてしまいました。そこで、邪魔になった自分の妻と、甥の両方を殺害。夫を失った甥の奥さんを、自分の妃に迎えたのです。
ギルダスは、この女性のほうもマエルグウィンとの結婚を望んでいたと書いていて、二人をまとめて厳しく責めています。
……ここまで来ると、「いちばん嫌われた王」と呼ばれるのも、なんだか納得ですよね。
少年詩人タリエシンにやりこめられる
ウェールズの伝説『タリエシン物語』にも、マエルグウィンは登場します。
マエルグウィンは、自分の宮廷詩人たちが自慢でした。それにケチをつけたエルフィンという男を、怒って牢に入れてしまいます。
そこに現れたのが、エルフィンに仕える不思議な少年詩人、タリエシン。タリエシンは魔法のような詩の力で、王さま自慢の詩人たちを次々と黙らせ、エルフィンを助け出してしまいました。
この物語でもマエルグウィンは、えらそうで、気に入らない人には容赦しない王さまとして描かれています。
鍵穴からのぞいた「黄色い怪物」
そんなマエルグウィンの最期にも、ちょっとこわい伝説が残っています。
547年ごろ、ブリテンにおそろしい疫病が広がりました。ウェールズではこれを**「黄色い疫病」**と呼んでいます。

病気をおそれたマエルグウィンは、ランロス(デガンウィの近く)の教会に逃げ込み、扉を固く閉めて閉じこもりました。
ところが、気になって鍵穴から外をのぞいた、その瞬間。外にいた「黄色い怪物」と目が合ってしまい、そのまま息絶えた――と伝えられています。
ウェールズには今でも、「マエルグウィンの長い眠り」ということわざが残っているそうです。
ちなみに、この「黄色い疫病」の正体は、同じころ地中海のほうからヨーロッパに広がった疫病(ペスト)だったと考えられています。
息子ランは、父とはまるで正反対
マエルグウィンのあとを継いだのは、息子のラン・ヒルでした。「ヒル」はウェールズ語で「背の高い」という意味。その名のとおり背が高く、伝説ではイケメンとしても知られています。

ランは、はるか北まで軍を率いて遠征したと伝えられます。後の物語ではアーサー王の助言者のひとりとして登場していて、「ブリテン一の助言者」とまで言われました。
暴君の父のもとで育ちながら、父とはまるで違う姿で語り継がれた王さま。ランの生涯はこちらの記事でくわしくご紹介しています。
マエルグウィンはどんな人物だったのか
強くて、度胸があって、国をぐっと大きくした実力者。それなのに、叔父の王座も、教会の財宝も、甥の奥さんも、欲しいものは手段を選ばず奪おうとした。
力も才能もあったのに、それを自分の欲のためにしか使えなかった王さま。それがマエルグウィンです。
そしてそのことを、同じ時代の修道士にしっかり書き残されてしまった。だからこそマエルグウィンは、1500年近くたった今も「ウェールズでいちばん嫌われた王」と呼ばれ続けているのでしょう。
ちなみに、奥さんを次々と処刑したことで有名なイングランド王ヘンリー8世も、実はウェールズにルーツを持つテューダー家の出身です(テューダー家の記事)。それでも僕は、悪さの度合いではマエルグウィンのほうが上だと思っています。
マエルグウィンが生きた時代の全体像は、ブリタニア時代の記事で紹介しています。





